障害者が自身の権利を勝ち取るまで

昨今の社会問題や、SDG’sの項目、法改正の話題の中には、障害者に関する項目も多く、障害に関する話題は、様々な場面で取り上げられている。

障害者の権利については、平成に入るまで権利侵害するような法律があったり、隔離する施設を設けていたり、と、最近まで、障害者の権利が確立されていなかった。

特徴的なものとしては、旧優生保護法があげられるだろう。旧優生保護法は、1948年に現行憲法のもとで制定され、1996年までの48年間、遺伝性疾患やハンセン病、精神障害がある人等に対して、優生手術及び人口妊娠中絶が実施され、約8万4千人もの人が被害を受けている。同法が優生思想を国策として広め、優生手術等を積極的に推進し多数の被害を生んできた事実は、社会に優生思想を根付かせる根源となり、今なお厳然として存在する障害者差別につながっている。

そういった歴史の中、日本では、どのように障害者は権利を獲得してきたのか、それによって、障害福祉事業はどのような歴史的背景をもって誕生したのか、そもそも障害福祉事業とは何なのか、詳しく見ていきたい。

障害福祉事業とは

障害福祉サービス事業障害者総合支援法第5条第1項

居宅介護、重度訪問介護、同行援護、行動援護、療養介護、生活介護、短期入所、重度障害者等包括支援、自立訓練、就労移行支援、就労継続支援、就労定着支援、自立生活援助及び共同生活援助(施設障害福祉サービスを除く。)を行う事業を指す。

サービスは、個々の障害のある人々の障害程度や社会活動や介護者、居住等の状況等を踏まえ、個別に支給決定が行われる「障害福祉サービス」と、市区町村の創意工夫により、利用者の方々の状況に応じて柔軟に実施できる「地域生活支援事業」に大別される。

「障害福祉サービス」は、介護の支援を受ける場合には「介護給付」、訓練等の支援を受ける場合は「訓練等給付」に位置付けられ、それぞれ、利用の際のプロセスが異なる。

サービスには期限のあるものと、期限のないものがありますが、有期限であっても、必要に応じて支給決定の更新(延長)は一定程度、可能となる。

※参照:障害福祉サービスの内容 |厚生労働省

障害福祉事業の沿革

戦後~ 「生活保護法」「身体障害者福祉法」「知的障害者福祉法」「精神保健福祉法」

障害の種類別の法制度が成立し、それぞれに拡充が図られてきた。このことは、障害種類別に基盤整備が進められてきた一方で、制度間の格差や制度の谷間に陥るといった弊害を生じさせた。

1970年~ 「心身障害者対策基本法」

障害の種別を超えて制定。

1993年~ 「障害者基本法」

ノーマライゼーションの理念の社会的な広がりに影響され、制定。

精神障害を明確に定めたこと、また障害者計画を策定すべきものとしたことなど、その後の施策のあり方に大きな影響を与えた。2004年の法改正では、基本理念として障害者への差別をしてはならない旨が規定され、都道府県・市町村の障害者計画の策定が義務化。

~2003年3月 「措置制度」

行政がサービスの利用先や内容などを決めていた。

2003年4月~ 「支援費制度」

障害のある方の自己決定に基づきサービスの利用ができるようになるが、導入後に、サービス利用者数の増大や財源問題、障害種別(身体障害、知的障害、精神障害)間の格差、サービス水準の地域間格差など、新たな課題が生じた。

2005年11月~ 「障害者自立支援法」

支援費制度の課題を解決するため制定。これまで障害種別ごとに異なっていたサービス体系を一元化するとともに、障害の状態を示す全国共通の尺度として「障害程度区分」(現在は「障害支援区分」という)が導入され、支給決定のプロセスの明確化・透明化が図られた。また、安定的な財源確保のために、国が費用の2分の1を義務的に負担する仕組みや、サービス量に応じた定率の利用者負担(応益負担)が導入された。

2010年 「障害者自立支援法」法改正 2012年4月~施工

2010年の法改正にて、利用者負担が抜本的に見直され、これまでの利用量に応じた1割を上限とした定率負担から、負担能力に応じたもの(応能負担)になり、2012年4月から実施された。

2012年6月~「地域社会における共生の実現に向けて新たな障害保健福祉施策を講ずるための関係法律の整備に関する法律」 公布

2013年4月~「障害者総合支援法」

「地域社会における共生の実現に向けて新たな障害保健福祉施策を講ずるための関係法律の整備に関する法律」の整備により、制定される。

目的・基本理念

目的規定において、「自立」という表現に代わり「基本的人権を享有する個人としての尊厳」と明記され、障害者総合支援法の目的の実現のため、障害福祉サービスよる支援に加えて、地域生活支援事業その他の必要な支援を総合的に行う。

現在障害者人口は、増加の一途をたどっており、障害福祉事業は、関係予算額がこの15年間で約3倍に増加。

障害福祉予算は、国の負担が50%、自治体負担が50%。令和5年度の国の予算は、19,562億円と発表されており、この約2倍の額が、障害福祉事業の総給付費の予算となる。障害福祉サービスの利用も年々増加傾向にあるため、社会が障害福祉事業を求めていることがデータからも読み取れる。

参照:障害福祉分野の最近の動向|厚生労働省

障害者福祉制度解説|ワムネット

障害者の福祉|全国社会福祉協議会

障害者が獲得してきた権利

教育

・1878年 京都盲唖院設立=日本で最初の盲・聾教育機関

➡明治期の障害児教育は、基本的に少数の篤志家の努力によって運営。ただし、多くの学校は、担任不足、財政難によって安定した運営には至らず。

・1923年 盲学校及び聾学校令。全国に盲・聾学校の設置を義務化

➡大正期~昭和初期にかけて、個人重視・自由主義的教育の思想が隆盛し、特殊教育への関心も高まる。

・1941年 国民学校令施行。身体虚弱児、知的障害児の学級・学校の編成

➡この法令をきっかけに「養護」の言葉が広がっていったが、第二次世界大戦の勃発により実質的な運用はなされず。

・1947年 教育基本法・学校教育法の公布

➡盲学校・聾学校・養護学校への就学の義務化。ただし重度の障害者に対しては就学免除・就学猶予の措置が執られ、ほとんどの場合就学が許可されなかった。

・1979年 養護学校の義務化

➡前年に就学猶予、就学免除が原則として廃止されたことにより、重度・重複の障害者も養護学校に入学できるようになる。一方普通学級からの障害児の排除も見られた。

・2001年 「特別支援教育」という呼称の採用

・2006年 学校教育法の一部改正。2007年より正式に特別支援教育の実施

➡知的な遅れのない発達障害も含めた対象の拡大。盲・聾・養護学校を「特別支援学校」に一本化。

参照:

障害児教育の歴史|東京大学大学院教育学研究科・教育学部

その他

・1996年 旧優生保護法から母体保護法への改正

➡1996年までの48年間、遺伝性疾患やハンセン病、精神障害がある人等に対して、優生手術及び人口妊娠中絶が実施され、約8万4千人もの人が被害を受けた。優生保護法ができる3年前の1945年は、日本が戦争に敗れた年で、食糧も家も不足している中でベビーブームが始まりかけていた。国としては、生まれる子どもの数を減らしたく、「優生保護法」で、一般の女性の健康の保護として、産まないこともできるようにして、子どもの数を減らそうとし、それが、優生政策でもあった。生まれる子どもの数を減らすからこそ、健康な子どもだけが産まれるように、障害をもつ人に子どもを産ませないという規定を設けたことが、旧優生保護法の背景としてあった。

その後、1996年に、ようやく法改正され、名称が母体保護法へと改められた。同改正により、「不良な子孫の出生を防止する」という目的が削除されるとともに、優生手術に関する規定等が削除されることとなった。

2018年1月には、宮城県の60代の女性が、知的障害を理由に手術をされたことは憲法違反だったとして国家賠償請求を起こしたことをきっかけに、いま全国各地で声があがり、実態の掘り起こしが進められている。

・2014年 障害者権利条約への批准

➡障害者権利条約は、障害者の人権及び基本的自由の享有を確保し、障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的として、障害者の権利の実現のための措置等について定める条約。

【障害者権利条約を批准した国の義務と審査のプロセス】

①権利条約の効力が生じた2年以内に「政府報告」(どのような法律を定め施行しているかなど)を障害者権利委員会に提出

②障害者団体や日弁連などの団体がパラレルレポート(障害者施策の現状や課題・改善点をまとめたもの)を障害者権利委員会に提出

③双方の報告書に基づき書面による質疑応答が行われたのち、権利委員会と政府による対面審査

④この審査を経て権利委員会が政府に勧告。政府は改善に取り組み、4年ごとに権利条約の実施状況を報告 (このプロセスを繰り返す)

参照:日本弁護士連合会:旧優生保護法下において実施された優生手術等に関する全面的な被害回復の措置を求める決議

旧優生保護法ってなに? – 記事 | NHK ハートネット

障害者権利条約 国連勧告で問われる日本の障害者施策 – 記事 | NHK ハートネット

最後に

日本の障害者権利に関しては、様々な課題があることがわかり、障害者の権利獲得や、法改正には、障害者自身が声を上げ、活動して自ら勝ち取ってきたという背景が大きい。

障害者の権利に関する条約が承認され、実際に実態が代わっていくためには時間がかかる。現状の課題を解決して、しっかりと障害理解を深めていくには、これからも時間がかかることが予想されるが、障害者自身が声をあげて、必要な対応を求めていくだけでなく、我々もその声に耳を傾け、時には賛同して、世論を変えていくことで、障害の有無に関係なく、平等な社会を目指していく必要がある。

また、現在も障害者への人権侵害・差別的な考えや発言は、色濃く残っている。

障害福祉事業の開設を検討した際に、地域住民が障害を理由にその地域への事業開設を反対したり、名古屋城復元の際のエレベーター設置に関する障害者への差別的な発言やその発言を容認するような対応を行政側が取ってしまったり、「障害者は社会の負担である」といった人権否定によって「津久井やまゆり園事件」が起こってしまったりと、まだまだ、障害者の人権は十分とはいえないだろう。

行政による法の改革や、障害に関する認知だけでなく、さらに進んだ障害理解を社会全体で推進し、平等な社会を目指していく必要がある。